中学受験の勉強において、辞書を引くことは必要なのでしょうか?
時間の無駄なのか、引くという行為そのものに意味があるのか。
悩みは尽きませんよね。
わが家では、辞書を引くか引かざるかで親子バトルが勃発しました。
その時の様子を記しますので、受験勉強で似たようなことが起きた人は参考にしてみてくださいね。
目次
国語の勉強
息子タンタンは中学受験塾、日能研に通う小学校5年生男子です。
息子は国語が苦手です。
だから毎週、私は国語のテキストの「読解1」をタンタンと一緒に読み解くことにしています。
今週は「贈り物の文化の違い」がテーマのようですね。
一緒に読んだところ、それは理解してたいし、内容は概ね大丈夫でした。
あと、段落分けも大丈夫でしたね。
でも細かいところがまだまだです。
たとえば、「はなはだまずい」というワードが出てきました。
タンタンは、サラッと読み進めていったので、私は何やら怪しく思い、意味を確認。
案の定「わかんない」とのこと。
話の流れから、何となくでも読み取れていれば良し、とするのですが、しばらく考えてもわからない様子でした。
そこで私は提案しました。
「わからないな、と思ったら辞書を引いた方が早いよ。この1分の間に調べられたんじゃない?」
と。
*国語の成績に悩んでいる方はこちらの記事を読んでみてください。
辞書は引きたくない
しかし、息子は即答しました。
「嫌だ。」と。
辞書を引くことを負けだと感じるのか、それともプライドが許さないのか。
さらにやり取りは続きます。
私「何が嫌なの?」
息子「辞書を引くことが嫌い。」
…。
好き嫌いで勉強が選べればそれは楽でしょうね。
せめて、辞書を引く時間がもったいない、という内容の反論だったら審議の余地があるものを。
「分数が嫌いなら、分数はやらない」「走るのが嫌いだから、体育はやらない」
タンタンが言っているのは、これらと同義です。
しかし、そうもいかないでしょう。
などなどしばらくは静かな戦いがあり、そのうちヤル気の問題に発展してしまいました。
辞書を捨てる
最終的には私は、捨てました、辞書を。
そうですとも、ゴミ箱に放り込んでやりました。
それほどまでに、やる気がない、勉強することなんて意味がない、という極論に発展してしまったのです。
確かに面倒くさいことが多い、でも私は、「自ら知りたい」と思う気持ちや、「知ることの喜び」を感じないまま成長してほしくなかったんです。
辞書を引くくらいなら、私が説明してあげた方が早いことなんて、百も承知です。
そのうち、結局タンタンは自ら辞書を拾い、1分くらいで「はなはだ」を引きました。
こんなことになるなら、すぐに辞書を引いていればいいのに。
それは親の私の気持ちでしかありませんが。
たった1分で済むものが、30分くらいになってしまう親子バトル。
辞書すらも素直に引かせる話術のない自分に嫌気がします。
辞書を引くべきか:まとめ
実際、辞書を引くべきかどうか正解がわからない、というのが私の結論です。
でも勉強のスタイルとして、わからないことは調べる、という方向を向いていて欲しいと願っています。
さて、受験本番までに、あと何回親子バトルがあるのでしょうか?
親子バトルに発展しないように、話術を高めたいものです。